病とは何か ―― 人と社会と病気のルーツをたどる
私たちは「病気」や「疾患」、「障害」という言葉を日常的に使っています。
しかし、その意味や捉え方は、本当に時代を超えて同じものだったのでしょうか。
人々は病をどのように理解し、何を恐れ、何を願い、どのような価値観や思想の影響を受けながら病と向き合ってきたのでしょうか。
古代には、病は神々の怒りや穢れによるものと考えられました。
ある時代には、前世や宿命、因果応報によるものとも考えられました。
近代になると、細菌やウイルス、遺伝や環境といった科学的な理解が広がりました。
そして現代では、病気だけでなく、その人を取り巻く社会環境や制度、文化、人との関係性までもが健康や生活に影響を与えることが知られるようになっています。
病気や障害は、単に身体や心の状態だけを意味するものではありません。
そこには、その時代の宗教、哲学、医学、政治、経済、教育、そして社会そのものの価値観が映し出されています。
私たちは今、どのような前提で病気や障害を理解しているのでしょうか。
その考え方は、どこから来たのでしょうか。
このページでは、日本の歴史や社会の流れをたどりながら、人と病気、疾患、障害、そして社会との関係について考えていきます。
正解を示すためではありません。
さまざまな時代の人々が何を信じ、何を恐れ、何を大切にしてきたのかを観察しながら、私たち自身の「当たり前」を見つめ直すためのオープンな記録です。
病とは何か。
障害とは何か。
そして、人が人として生きるとはどういうことなのか。
日本で最初に大規模な疫病の流行が記録されているのは、伝承上では第10代天皇とされる 崇神天皇 の時代です。
崇神天皇は、歴代天皇の中でも実在した可能性が高いと考えられており、日本の歴史が比較的明確になる頃には、すでに疫病による深刻な被害が発生していました。
『日本書紀』などによれば、多くの人々が疫病で亡くなったことを受け、崇神天皇は宮中で祀られていた 天照大神 を外部で祀るようにし、国家の安寧と疫病鎮静を祈りました。
この流れは後に 伊勢神宮 の成立へとつながったとされています。
また、天皇が国民の平和や安寧を祈る役割も、この時代の経験を背景として形成されたと考えられています。
ハンセン病隔離政策の歴史 ― 社会は何を選択したのか
古くは『日本書紀』や『今昔物語集』にも「らい」と呼ばれる病気についての記述が残されています。ハンセン病にかかった人々の多くは、病気そのものだけでなく、社会からの偏見や差別に苦しみました。
仕事を続けることが困難になった人々は、商家の奥座敷や農家の離れなどで、人目を避けながら暮らすことを余儀なくされました。また、家族への負担や周囲への迷惑を心配し、自ら家を離れて各地をさまよう「放浪癩」と呼ばれる人々も少なくありませんでした。
明治時代になると、日本は近代国家として国際社会との関わりを深めていきます。
そのなかで、諸外国から「患者が路上で生活している状況を放置している」との指摘を受けるようになりました。
1907年(明治40年)、政府は「た癩予防ニ関スル件」を制定し、主に放浪する患者を療養所へ収容する政策を始めます。この法律には患者の保護や救済という側面もありましたが、一方で「ハンセン病は非常に恐ろしい伝染病である」という誤った認識を社会に広げる結果にもなりました。ままままま
さらに1929年(昭和4年)には、「無らい県運動」と呼ばれる取り組みが全国で進められます。各地域で患者を発見し、療養所への入所を推進する運動が展開されました。
そして1931年(昭和6年)、「癩予防法」が制定されます。この法律によって強制隔離政策はさらに強化され、自宅で生活していた患者も療養所への入所を求められるようになりました。全国に国立療養所が整備され、「すべての患者を隔離する」という体制が構築されていきます。
療養所への移送には専用の列車が使われることもありました。また、療養所内では独自の園内通貨が使用され、外部との接触を制限するための壁や柵が設けられた施設もありました。患者たちは長い年月にわたり、社会から切り離された環境で生活することになります。
その後、治療法の確立によってハンセン病は治療可能な病気となりました。しかし、隔離政策は長く続き、患者やその家族は深刻な人権侵害と差別に直面しました。
ハンセン病の歴史は、単なる感染症対策の歴史ではありません。それは、病気に対する社会の理解、偏見や差別、人権、そして私たちが「異なる存在」と向き合うときにどのような社会を選択するのかを問いかける歴史でもあります。
「隔離・管理」から「権利擁護・地域共生」へ
という大きな流れで見ることができます。
① 隔離と管理の時代
(18世紀~20世紀、障害のある人は、危険な存在 理解できない存在
とみなされ、隔離や監禁の対象でした。
一方でフランスの
フィリップ・ピネル
は精神障害者を鎖から解放し、「精神障害者も人間として尊重されるべき」という近代精神医療の出発点をつくりました。
② 日本の私宅監置時代
(1900年頃)1900年 精神病者監護法
家族が自宅で精神障害者を監禁・監置できる制度
問題
・医療不足・家族負担・ 人権侵害
③ 呉秀三の告発
全国の私宅監置を調査
有精神障害者の置かれた実態を社会に訴えました。
④ 精神病院中心の時代
(1950〜1980年代)
1950年 精神衛生法 私宅監置廃止
しかし
精神病院への長期入院が増加
昭和30年
4.4万床 15年後25万床
⑤ 薬物療法の発展
1950年代以降
統合失調症などの治療が進歩
多くの患者が症状改善
しかし 長期入院 社会的入院
という新たな課題が生まれました。
⑥ 人権問題の顕在化
(1980年代)
1984年 宇都宮病院事件
入院患者への暴行死事件 国内外から
「日本の精神医療は人権侵害ではないか」
という批判が起こりました。
⑦ 権利擁護への転換(1987年~)
精神保健法 → 精神保健福祉法
主な変化
・任意入院制度・あ権利告知
・精神医療審査会
・社会復帰支援
・ グループホーム
、福祉サービス
⑧ 障害者として位置づけ
(1993年以降)
障害者基本法改正 精神障害者が正式に「障害者」
として法的位置づけた 福祉施策が拡大
⑨ 地域生活支援へ
(2000年代以降)
キーワード
「入院医療中心から地域生活中心へ」
グループホーム 就労支援 相談支援 訪問支援 地域定着支援が進められました。⑩ 現在の方向性
精神障害にも対応した 地域包括ケアシステム
目標
・病院だけに頼らない・地域で暮らす
・就労する・ 学ぶ・参加する・本人の意思を尊重する
歴史の流れを一言で
隔離
↓
施設収容
↓
人権擁護
↓
地域移行
↓
た地域共生
考えるべき課題
現在も
長期入院 強制入院のあり方 病院内虐待 就労の壁 偏見・差別 家族負担などの課題は残っています。
精神保健福祉の歴史は、
「精神障害者をどう管理するか」から、「一人の市民としてどう共に生きるか」への変化の歴史
と整理することができます。
日本の難病対策は、昭和39年頃にスモンの発生が社会問題となったことを背景に、原因究明や治療法確立に向けた研究事業を開始したことを契機として始まりました。
それ以降、日本では、「難病対策要綱」に基づき、調査研究の推進や医療費の助成等を実施してきました。